第18談 追憶 (山頂詣りと蛇除け)

第18談 追憶 2021年(令和3年) 6月28日(月)

①『山頂詣りに付いて』

僕が小学6年生の時ですから今より遡る事56年前に、僕は父と父の友人2人の計4人で、オニギリ・漬け物・水筒やナタや電灯など最低限の必要品を持ち、春先の夜明け前の2時まだ薄暗い中を、とある山へ向かい出掛けました。

そして、早朝3時半ごろ予定地に到着し、山下の鳥居から山上の鳥居を目指し距離の長い楽な参道は避け、徒歩で一番近道の危険極まりない ぬかるみの獣道を選び、目的地の奥ノ院の拝殿へと足を運びました。

5時半 小さな拝殿に着き不動尊や山ノ神及び諸尊に供物を献上し読経を終わり、またその上の山頂を目指し登拝、ようやく岩に腰掛け朝食を頂く、これがまた今迄に無く大変美味しかったと記憶に残っております。

その時、丁度 朝日が昇り始め、その神々しい朝焼けに抱かれ4人で合掌、僕も幼心に身心共に浄められたような感動で 薄っすらと涙が流れ、清々しくその光景に しばし見とれて居りました!

②『蛇除けや虫除けに付いて』

その後の下山時に、父が何気なく僕を見つめながら話された事ですが、僕がたまたま青色=藍色のジーパンを着用していたからだと思いますが、その【㋑ ジーンズは何処の国の発祥地】で【㋺ 何の目的の為に製作】されたか、解るかな?

と、問われましたので、即座に僕の知識ではジーパンの発祥地はアメリカ位いですかね、後の理由は判りません、ご存知ならば後学の為に教えて下さいと訊ねました。

父が言うに一つには、確か1850年代【㋑ 北アメリカのカルフォルニア州で誕生】、金鉱採掘一攫千金の夢を見し男等が集まりて、作業中に悩まされた問題点に【㋺ 猛毒のガラガラヘビに足元を噛まれる危険性がある為】丈夫な防御作業着が求められ、特に下半身の足元を守る為に作られた、との事です。

二つには『カウボーイ等が、太い糸の厚い生地で藍染めにしたジーンズを着用し、毒蛇や害虫から身を守る手段として、遠ざける為に作られた』と云う 二通りの説があり、どちらも間違いでは無いだろうと言っていました。

特にカルフォルニア州にはガラガラヘビが多く、噛まれた部分の組織が破壊され血液が凝り固まり、その毒が神経系に悪影響を及ぼし全身麻痺するとの事で、ジーンズの丈夫な素材と藍染の色素に含まれる殺虫剤の臭いが蛇除けに効果が有り、実用的な理由から労働者の作業着として大流行した!

その時代の【昔のジーンズは丈夫で、太く ねじってある白い糸で作られた生地(キジ)を、タデアイの葉で作った天然の染料で白いジーンズを、わざわざ藍染めしていた。】

その訳は【実は、天然インディゴには殺虫剤のピレスロイドと云う成分が含まれている為に、ガラガラヘビ特有の尾っぽを振りガラガラの威嚇音(イカクオン)も出さずに、そのジーンズ染料の色素の臭いを放つ側から一目散に逃げ去る一方だった】 そうだ!

それと、毒蛇は口の奥の方に牙が有り さほど長くも無く、丈夫で厚く固いジーンズのサイズを地肌に密着させず、大きめに幅広く作り直に肌に噛みつかれ無い様に、工夫されていたようだ。

なお、インディゴの語源はインジゴと呼ばれる藍色の色素の事で、その天然インディゴのピレスロイドに含まれる殺虫剤の成分は、古くから虫や爬虫類と両生類には有毒で有り、インディゴ特有の臭いが虫や蛇を遠ざける事で、蛇除け虫除けに効果有りと伝わって来ている、と云う事です。

されど、天然インディゴのピレスロイドの毒性は、人類や哺乳類や鳥類の体内に入っても、酵素の力で速やか分解され害は無く、昆虫類・両生類・爬虫類・魚類にとっては危険な神経毒との事ですので、注意して使用するようにと教えられましたネ!

また1870年代頃にはアメリカで作業着として実用定着されて以来、百年位い経ってジワジワとファションデニムジーンズへと変化して来ているのだろう、と話された。 

但し、現代のジーンズは石油から科学的に作り出した、合成のインディゴを使用している為に虫やガラガラヘビに悪臭の効果は からっきし無く、威嚇音を出し近づくとガブリと噛み付かれるので、決して近付かぬ方が無難であり、くれぐれも気を付けるように、と言われた!

今は亡き父が、生前に僕に教えてくれた昔のジーンズの お話しは、伝説では無く真実でしたので、ビックリ仰天ニュースですよね! 今日は、この辺で お終(シマ)い?

第17談 過去を省みて

第17談 過去を省みて 2021年(令和3年) 5月31日(月)

 令和時代から過去を振り返り、昭和50年代後半当たりでしたか、ある関東地方の20代半ば所帯持ちの国家公務員男性が、癌の病に掛かり手遅れと お医者にも手の施し様が無いと見放され、早くて一月・持って三月と余命宣告を言い渡され、奥様や家族も嘆き悲しみ路頭に迷っていました。

 ところ、彼の友人が「困った時の神頼み」と言って、その友の親御さんが「元々は奈良京都で活躍していたが、お不動様の命により陸奥国南部里の民の救済の為に神仏の威力を湧出させよとの託宣あり」て、最近 青森県八戸市に転居した方で『代々続く山伏密教僧の家系で神仏習合の腕の良い尼僧行者と息子行者僧』の信者で、危ない所を何度も助けて頂き、今でも仲良くお付き合いされているとの事でした。

 そして何よりも、その住職さん等はとても気さくで優しく面倒見も良く、生き仏さまのような方々ですから、早朝から深夜までお客様が頻繁に訪れ、多くの方々の難病や悩み事などを解決され救われていて、本当にお忙しい方ですよ。

ですから、騙されたと思って一度は顔をだしてご覧なさいと、教えて下さいました。
ので、半信半疑ながら南部山 神法寺に お詣りました所、癌病になる原因をおっしゃられ、両親や祖父母に後で訊ねたところ、祖父母が実母に聞いていた通りだど驚いていました。

 そこで夫は、お祓いや御祈願などして頂き、癌や激痛も無くなり職場にも間もなく復帰でき、それから35年位い 永らえました。

 が、これからは助けられた恩に報い、妻や両親と家庭を大切にし、また何よりもお救い下された神仏の信仰から離れずに、たまには当寺にもお顔を出すようになさると宜しいでしょうね。 と、ご住職等に諭され、私達夫婦は肝に銘じて帰宅しましたと、数日後に御礼のお手紙が届きました。

 その数年後と数十年後にニ・三度程、奥様より私達が子供に恵まれない為か、主人が以前より増して自分勝手に好き放題ばかりして、家庭を顧みず無駄遣いしてお給料も入れず、私は私の給金と両親の援助で生計を立てていますと、僕に連絡あり嘆いていました。

当時の彼は、神仏に助けられたご縁で、自ら望まれて出家したにも拘らず、第2の人生では生まれ変わり、悔いの無い信仰と生活の二道を守り、お迎えが来るまで楽しい余生を送りたい、と決意証明をした筈なのに・・・!

 妻曰く、あの人は【メドツ (人間の肝を抜くカッパ) の生まれ変わり】か、化身かも!
いや中年になり、益々「古狸に進化」したかも? と、呆れ果てていました。
元々彼は、我の強い人ですから今更 更生させる術も無し、 他人の意見も聞く様な人でも無く、ましてや自ら直す気も無い人で『屁のカッパ』でしょうね、きっと。

 そうは言っても僕も、彼の本心は半信半疑でありしも、 お医者さまにも末期癌で手の施しようも無く見捨てられ、藁にも縋る思いで来寺し、ご祈祷により御本尊さまや行者尊さま方に一命を救われ、現在に至り職場にも復帰でき、2代人として数十年も生き長らえて来ている現状だったのに・・・?

 彼は、折角この未曽有の娑婆世界で 神仏の弟子に昇格したのに、一般的な人間の欲望に駆られて魔が差すような事にならなければ良いがなぁーと、以前から師僧としては そう成らないように願っていましたがね。

 そう言う夫は「苦しい時の神頼みの時だけ一生懸命」で、神仏の偉大な守護により病魔から逃れていながら、暫くすると安堵したのか、信心を忘れたように ご自分の好きな事だけしながらも、奥方の一心の信仰と言うか内助の功により、約35年も生き永らえましたね!

 もし奥様が、もう一度 夫を助けて頂きたいと願うならば、まだ間に合うかも知れ無いので、早めに手を打って御祈願でもし神仏にお縋りして見ますかと尋ねた処、もう結構です。 仮に助けられた処で、また同じ生活の繰り返しなら、絶対に拒否致します。
との、お応えでしたので、僕も手の出しようが ありませんでした。

 が、助けられた人命なのに、今でも その事が口惜しく、悔やまれて成りませんでしたね。 それで、過去を省みて記載してみましたが、誠に苦い経験でしたネ!

 そもそも人間とは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」タイプの人が多いようですから、彼に対しても ご本人が強く口で言う程でも無いだろうと、僕は期待もしていませんでした。 

某が想うに、人間って一時の快楽に負ける事って、情けなくも有り、実に悲しい者ですね! 今日は、この辺で追憶から離れます。

第16談   仏教に付いて 

第16談 仏教に付いて 2021年(令和3年) 3月27日(土)

今夜のリモート会話では『仏教に付いて』の、お話しをしてみませんか。
皆さんは仏教と言うと、 どういうイメージが脳裏に浮かばれますか?
どんなことでも良ろしいですが、ざっくばらんに想った事を、おっしゃってみて下さい。と、参加者に振りましたところ、Aさんは、人が亡ぐなったら葬式を坊さんに出して貰う所。

またBさんは、自分より先に亡くなった親兄弟や先祖の年回法要を、寺の坊主に依頼して拝んで貰う所です。

Cさんは、お寺の中にある先祖のお墓を、お盆や彼岸に家族でお参りする場所です。

Dさんも、寺の位牌堂の先祖に、盆や彼岸にお参りに行く所です。

Eさんは、家は市営墓地だから、決まったお寺の檀家じゃ無いから金も掛からないし気楽で良いかな、そして お金も市の維持管理費の年間¥五千円位しか掛からず、盆と彼岸には必ず行っている。

Fさんは、イズレにしろ お寺の坊主の所へは、先祖様を預けているから盆暮れには花やお供え物を持ってお参りする所だと思うし、それ以外に何あるズゥてばな。

などと、一般の受け答えでしたね、まぁ普通は そんなもんでしょうね。

但し皆さん一様に、去年からのコロナ渦で、こんな田舎でもあまり人込みを避けて盆や彼岸でも、お寺に朝早くにお参りしたりして一応工夫はしているとの事です。

僕としては『仏教』と聞くと、何となく難しいと考えてしまいがちで「自分とあまり関係ない」だろうと、皆さんの言葉が返って来ると思っていましたが、的外れでしたね!

ところが私達に取って、一番身近で大切な教えを説かれたのは、お釈迦様が悟りを開かれた仏教なんですネ!

この仏教の教えが2600年もの間にも掛からわずに、未だ色褪(イロア)せずに、今日まで私達の生活に溶け込み密着していて、生きて行く為の知恵となり、人生のお手本と成っているんですヨね。

なので、私達はこの教えを守り、次の世代へ受け継いで行って貰いたいものですね。
この事は僕等の、皆様へのお願いとして受け取って頂ければ幸いです。
この当たりで、今日の懇談会を閉めますね、では お休みなさいませ!

第15談 好感度に付いて

第15談 好感度に付いて 2021年(令和3年) 3月13日 (土)

今夜は「坊主さんのおせっ会」に、男性2人と女性3人の参加です。
他の人は、其々の用事と懇談会の時間帯が重なり参加出来ず、残念との連絡あり。

と 言う事で、久しぶりに5名で「リモート懇談会」始めました。
それはそれで 互いに ゆったりと 御自分の胸の内を、打ち明け合えました。
これはこれで、初心に戻れたような新鮮味ありて、摩訶不思議でしたね!

人数が多ければ多いなりに、少なければ少ないなりの、特別な語らいの場を味わう事が出来るんですね。  人数の多少により、その場の空気も変わり、話す内容も微妙に変化しますね。

ましてや、私ら凡人の中に「秀人・聖人」でも参加すれば、尊敬の念も加わり、対応や話し方も、いつもとの違いが出、その場の雰囲気も変わり、高度な お話しに変化して行くんでしょうね。
『 習慣や 環境に寄って変わる』人間って、 ほんま面白いもんですネー。

それでは、【好感度】に付いての本題に入ります 。
男性や女性と言うか、同性や異性から見ても「好感度」の高い方が、良いと思いませんか? 

私達も含め、特に政治家やタレント=芸能人などは人気商売ですから、世間の多くの人達に気受けする為に、仮面をかぶり本当の自分とは違う役作りに、気を配り日々努力しているのでしょうね。

表向きの面 (カオ) では役者を演じ通し、身内や気の置ける仲間達の中では裏の顔と言うか、リラックスした自我を さらけ出す事が出来る訳ですよね。

兎角 (トカク) 人間と言う者は、誰しも裏表の顔が多少に関わらず持ち合わせいると、僕は思うんですよ。 その顔を、相手により器用に使い分け出来る方と、不器用な方や、このどちらにも当てはまら無い普通の方の、三通りに分類されるのかな?

ところで「好感度」とは、女子目線での専 (モッパ) ら男子に向けられた、好みのタイプの第一印象的なインパクトが強く表れたものかなーと、僕自身が男目線で感じ取っていました。 逆に男性も、女性に同様に見られているんですよね。

男性諸君を代弁して僕は、先ず見た目の外見から、相手の女性の容姿・清潔感・魅力的かなど、最終的には接し方・物腰・態度などを観察して、好感度の善し悪しを判断していますね!

しかしながら、昨今の女性は同性にも関心を向け、相手を お手本としたり中傷したり、シフトアップやシフトチェンジしたり、感情の起伏が激しくなる傾向に なりつつあるようですネ!

今日の女性諸君も、男女平等の お蔭様で社会での活躍の場も増えつつありますからね、結構な事で がんすネー。(決して女人否定している訳では無いすヨ、誤解無き様に)

日本古来の男尊女卑時代の、何事も男性の一歩後に控え目で賢くも男を引き立て、陰で支え来た大和撫子 (ヤマトナデシコ) のようなアゲマン女人は今、何処へ・・・?

さて、お話しを元にに戻し、僕は好感度の『好』の字は 漢字で「女」偏に「子」と書き、女子に好かれると説き、男子の魅力が如何程かに問われるかで、決まるのでは無いでしょうか? また女子は同性に対しては、もっと厳しい目で見ているかもネ!

まとめとして言える事は、世の男性諸君も女子に好かれる力に磨きを掛け、魅力を見に着ける事が大事なのかも? これが男女共に言える事で、好感度に繋がると思います。

今夜は、この辺で閉める事にします。次回にグッーパーイ、セニョール・セニョリータ

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第14談 愛に付いて

第14談 愛に付いて 2021年 (令和3年) 2月27日 (土) 

今夜の「坊主さんの おせっ会」に、男3人+女4人=計7人参加しました。
今日は、多様な「愛」や「失敗や悩み」などに付いて、お話しを進めたいと思います。
愛と言っても、人間愛や動物愛・その他でも結構ですが、皆さん如何でしょうか?

先ずは、何方から行きますか?と、投げ掛けたところ、言い出しっぺの先生からお願いします。 との拍手喝采で、 僕がトップバッターでバッターボックスに立ちますので、宜しくお願い致します。と、挨拶しスピーチする事になりました!

じゃあ僕から『愛に付いて』お話し致します。
人間とは、男女共に物心ついた頃から『人は人を愛する事から始まり、愛する事で終わる』と思います。 そう考える事は、理屈では無く ごく自然に為せる業なのでしょうね。

男女の愛は、育む ものです。つまり、慈しみ育てて行く ものですよね!
難しい技術も必要なく、ただ お互いに愛される技巧と言うか技術を、持ち合わせ無ければ ならぬと思うんですよ。 そうでなければ、長続きせぬでしょうね!

けれども、 時として男性は【 愛する事が浅く、移り気な人が多い 】ようです!
それに対し、女性は【 稀にしか愛さぬが、愛情が深い人が多い 】ようですね!
まっこと、相思相愛で一緒になれる方は、数少ないのでは ないでしょうか?

故に、身近にいる人などで ある程度妥協し一緒に暮らしたり、その反対に心から好きで好きでたまらず何度もアタックし、ノックアウトされる方や・根負けし結婚に至る方などもあるでしょう。 

その為か、男性がよく浮気したり するのかも?  しかしながら、近頃の女性は負ず劣らず、寧 (ムシ)ろ男性を凌 (シノ)ぐ勢いで、世に躍り出ている ようです、「不倫に」!

中には、夫が単なる浮気相手に留まらずに、経済的援助も伴うような『愛人~情婦~妾』を囲う事も、未だに あるようです。

囲うとは『男が妾を囲う』事を「籠の鳥=カゴのトリを飼う」のと、同様の意味合いで使ったようです。また逆に、夫持ちの妻が「情夫=若い燕を囲う」事もあるようです!

古くから、資産家の旦那衆は良く お妾さんを囲い子を孕 (ハラ)ませても、共に面倒を見たものです。 本家の本妻や本妻の子等と、妾と妾腹の子と区別され、卑下されて育つた方もあったようです。

本妻も、妾の存在をほとんど承知していて、公認されている方が多かったようです。
このような事は、社会的に隠されるものでは無く、かえって「男の甲斐性」と風潮される時代も あったようです!

但し「不倫と妾」は、はなから違うのでは無いのかなー?
不倫は、既婚者が浮気相手との恋愛ごっこであり、お妾さんには生活の糧と成る お手当が長期に亘り発生すると想うので、その処で現実的な格差が生じるので、別物と考えた方が 良いでしょうね?

また、妾「めかけ」を「ショウ」とも読み、妻子ある夫を寝取り、犬畜生にも劣る行為との事からなのか、畜妾「チク ショウ」とも呼称されたようです!

このように、人を愛する事には多くの自己犠牲が伴う時もあり、愛するが故に事件や争い事も起こり得るのです。 これが命懸けの本当の愛と言えるのかも?  愛とは一見、道を踏み外すと、恐ろしいものですよね!  皆様も、くれぐれも お気を付けて下さい。

では、その他の愛は、本当の愛に値しない、偽物 (マガイモノ)なのでしょうか?
しかして、純愛は何処へ・・・?   このような愛には、僕は経験不足で疎 (ウト)いので よう分かりませんが、皆様は如何 思われますか?

最後に締めとして、もともと『愛』とは「煩悩からくる、もしくは貪 (ムサボリ)に近い」仏教用語から発祥した言葉で、簡単に言うと【愛=執着 (シュウジャク)】の為せる業の、意味を表すものでしょうね。

今夜は、この辺で終わらせて頂きますが、他の参加者の語り合いは、拙僧の胸の内にて・・・では、お休みなさいませ。 また、次回 ご覧あれ。

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第13談 己を支えた一言(座右の銘)

 第13談 己を支えた一言(座右の銘) 2021年(令和3年) 2月13日(土) 

今夜の「坊主さんの おせっ会」に、男3人+女6人=計9人参加しました。
今日は、座右の銘=己を支えた一言や終生 忘れられない一言をテーマに、お話しを進めて見ようと思います。

例えば、役者に取って舞台は戦場なんですね、同じく皆さんが働いている職場も同様に生活の糧となる戦場なんですヨネ。

ただ何となく就業時間内に働き、時間が来れば帰宅し、それでお給料が貰え暮らしが成り立てば「御の字」じゃ、張り合いの無いその日暮らしでは駄目なんです!

やっぱり、自分を使用くれた恩に報いる為にも、また飯の種ですからネ、最初は出来なくても 先ず出来る事から、懸命に努力を重ねる事に意義があるんです。

『能わざるに非ず、為さざるなり』との事で、人はよく出来ないと言うが 出来ないのではなく、端 (ハナ)から遣 (ヤ)ろうと しないから出来ないので、遣ろうと思えば大抵の事は遣りこなせる筈です!

やがて、その姿勢が上司に認められ、報われる時も来るでしょうから、やれるだけやって見ましょう!「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」
これは僕からの、仕事に対するアドバイスと、己の職業に誇りを持つ事も大切ですね。

その仕事場や対人関係でスランプに陥り抜け出せない時に、周囲から何気なく掛けられた言葉に救われた、心に残る一言など ありませんか?
又は「恩師の一言」が重く心に響き、忘れられず己の一生の道しるべになりし事など。『謂わば人生の羅針盤になりし言葉などですね』と、皆さんに話を振りました? 

ところ、それぞれの心に残る一言一句を聞く事が出来ました。
面白いもんで 9人9様で、同じ様な言葉が一つも返って来ませんでした?
これも摩訶不思議でしたね、大抵は一人の発する言葉に便乗して、似通った返答が跳ね返って来るもんですがネェー! (僕以外の人の内容は極秘情報ですので、アシカラズ?)

最後に拙僧は、己の二つ言葉で【喜びも悲しみも、仏様の為すが儘に】【何事も時の流れに身を任す】と 同様の言葉ですが、『流れに抗 (アラガ)わず身を任す』と言う信念を持ち、全て御本尊様にお任せしております! (僕の場合は同行二人以上の同行五人かな)
仮に、流れに逆行して進もうとしても、無駄な労力を使い、身心共に疲労困憊 (コンパイ) するからです。

今回も、楽しく仲間との語り合い出来ました事に、心から感謝申し上げまして、終わらせて頂きます。また、次回も宜しく。

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第12談 儚い人生

第12談 儚い人生 2021年(令和3年) 1月30日(土)

今夜の「坊主さんの おせっ会」に男女6人参加中、Y さんが知人から聞いたお話しですが、〔仮名 A 君〕がコロナ禍の為に週一の関東地方に帰宅も出来なくなり、最愛の妻子に再会もままならず、人生の儚さを昨今 感じていると話されたのです。

拙僧が想うに、A 君は昨年からの仕事上の立場と環境の変化、及び一年にも亘る流り病にアタフタする現状に、共に遣る瀬無さと虚しさを覚え、どうもならない ご自分の 気持ちと苛立ちが重なり、「儚い人生観」を感じ取ったのかなーと?

そこで、僕は「ハカナイ」とは漢字で『イ (にんべん)』に『夢』と書きます。
言い換えれば、これは『人の夢』であって【夢を抱き見る】事から結果として「儚い」と言う言葉へと通じるのでは?と、語り始めました。

先ず、 睡眠中に夢物語りなど見るような、夢の中で登場人物と話したり・相手の話を聞いたり・怖い者に追いかけられたり、様々な場面がスクリーンに映写されているように、目覚めても尚、脳裏に残像が残っている「夢」や現実になる「正夢」もあります。

また「夢」の中でも ご自分の未来というか、「世に出て偉業を成し遂げたるでー!」と大きな夢を見て、己の人生に希望と目標を持ち続け、荒波の航海に立ち向かい船出する人などおります。

逆に、この先々どうせ良い事なんか無いだろうと夢と希望を持てず、己の将来に悲観的で不安に駆られている方や、その他にも色々な考えの人もいるでしょう。

僕自身は普段からマイナス思考ではなく、「何かあっても、何とかなるさ」と意外と能天気で、何時でもプラス思考の持ち主です。

 世の中に生を受けた以上は、儚い人生と思い、ただ生き永らえ 化石と化すよりは、少しでも明日に希望を持ち続け、老いても安楽に生きられたら「御の字」でしようね。

つまり、五体満足で生かされているだけで、充分に有り難いんだと自覚し、両親や先祖に感謝しなければ ならないと思いませんか?

人間として生まれ出づる事、それは一億以上という成熟した雄の生殖細胞の中から、たった一粒の精子が、雌の卵子に受精され結合した 個体に命が宿る。
そして、十月十日 母の胎内にて育ち、この娑婆世界の光の中に出生する事であり、本当に難儀で 稀な事なのですヨネ!

そう想うと、個々に 此の世に生命を授かりし者は、何かしらの何事かを成し遂げなければ 成らない、与えられた使命が ある筈なんです。  その役割を運良く見つけられる人や、未だ分からずじまいで迷い続 けている方も、いると思うんですよ。

だから、人は人を愛し、生涯の番 (ツガ) いとなる伴侶と巡り合い、各々の役目を全うせず果たせぬ人は、次世代の我が子へ託し、バトンタッチする訳なんですよね。

お話がズレて別な方へ飛びましたが、此の世を儚み死を臨んでいる人には、僕は『儚い』を【墓無い】と置き換えて説き、まだ貴方が入る お墓が無い、 お墓の準備が整って無いから、あれこれと思い悩み死に急ぐ必要は無いと訴えます。

己 自信に負け その場から逃げ越しで無く、死ぬ事ばかり考えずに、生きてさえ いれば必ず良いことも巡り来るから、そう人生捨てたもんじゃないって!
だからこそ、生きて生きて生き抜く事の方が、死を選ぶより余程 価値があると、僕は思うんですよね。

名も知れず 野に咲く花も、その一時の命を惜しみなく可憐に咲き誇り散る。
また、蜉蝣 (カゲロウ) も しかり、サナギから成虫になると卵を産んで間もなく死する。 共に、この一瞬の短い命を燃やし尽きるのです。

この事柄を見ても解るように、人の命も短く『儚い』ものだと、例えて言えますヨネ。
A さんのみ成らず参加者の方々にも、一人一人の命の尊さや其の重みを、噛み締めて欲しいと思います。

このような、拙僧の拙 (ツタナ) いお話しに、皆様の貴重な時間を割いて お聞き頂きました事に、心から感謝申し上げます。

ふと見上げれば、時計の針は もう23時55分、時間の経過に驚き、数分で日が変わろうとしている!  朝が早いので3~4 時間だけでも睡眠を取らなきゃと・・・‼
この辺で終了します、では皆様も お休みなさいませ?

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蜉蝣