第11談 続編② 鏡開きに付いて

第11談 続編② 鏡開きに付いて 2021年(令和3年) 1月10日(日)

前回に続いて拙僧が、後半の二つ目の質問に お応えします、宜しいでしょうか?

〔第2話、鏡開きに付いて〕

 次に、鏡餅は歳神様の依り代 (シロ)であり=居場所でもあります。
【歳神様=ご先祖様】でもあり、依り代となる『鏡餅に歳神様の魂が宿る』ので、その[お餅を松の内の鏡開きの日に食べ]て、その恩恵を受ける為の年頭儀式です。

松の内は、歳神様がいらっしゃるので1月7日が過ぎて、お送りしてから、お供えした お下がりの餅を、1月11日 (元は20日) の『鏡開き』に家族で食べる事で、その力を授かり新年の無病息災を願う、意味合いのある行事です。

殊に、鏡開きは武家発祥と、謂われます。
武家から始まった行事なので、「鏡餅」を包丁などの刃物で切る行為は、切腹を連想させ縁起が悪いとされ禁じ手であり、素手や木槌や金槌で割る、流儀に成ったそうです。

特に「切る・割る」と 言う忌み言葉を避け、「開く」は 末広がりを意味する事から『鏡開き』と呼ぶように成ったと、先代から お聞きしております!

武家では、鏡開きを以て正月を一区切りとし、仕事始めをする意図がありました。
女人は、鏡台に供えた鏡餅を開く事を、「初顔」を 祝うと、言います。
商家などでは、江戸時代に蔵開きの行事を、新年の吉日に催しました。

このような 武家社会の風習が、一般化したようです。
現代でも剣道道場などでは、道場開きに鏡開きを行い、お汁粉を振る舞うのは、その名残りのようです。

他にも、鏡餅を食す事を「歯固め」と言い、硬いものを食べ歯を丈夫にし、歳神様に健康と長寿を祈る為の儀式もあります。

また地方によっては、歳神様がいる松の内を 1月15日の小正月や 20日までとか、京都の一部の地域では 4日に鏡開きを行う所もあるようです。

この「鏡開き」から転用され、結婚式や新築その他の祝い事などに、樽酒の蓋を『鏡』とも呼び、この蓋を割る事を縁起良く『開く』と言う表現で、使用しているようです。

拙僧等は普通に、お汁粉やお雑煮などの定番で頂いておりますが、少々太りますよね!

上記の会話は、ほんの一部ですが新年早々、笑いの絶えない縁起の良い、時間を過ごさせて頂きました! 有り難う御座います、では次回に・・・合掌再拝

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第10談 前編➀ 鏡餅に付いて

第10談 前編➀ 鏡餅に付いて 2021年(令和3年) 1月9日(土

今夜は新年早々『坊主さんの おせっ会』に、男3人+女3人=計6人参加しました。
その談話の中で皆さんは、どのような 御年越を なされましたか?

などと問われ、R さんは「神棚・仏壇・床の間・台所・仕事場などに 松飾や鏡餅、また神仏に お膳やお供物などを 供えました」
他の人は「松飾や鏡餅は無し・2段重ね真空パック鏡餅にマガイ物みかんセットを上げた・神棚と仏壇が無い」など、三人三様の受け答えでした。

但し、祖父母や父母と離れ、所帯持ちの Y 君や J  君と独身の  F さんらが、口をそろえて言うには「毎年 郷里の実家では、年末に正月飾りや鏡餅と お膳や お供え物を上げていました」

特に「31日の夕方には、家族全員揃って神棚と仏壇を拝み、その後 お神酒や甘酒と お膳や年越しソバなどの ご馳走を味わい、そして紅白歌合戦を楽しみ、最後に地域の社寺に元朝詣りに行き、新年を迎えていました」と、異口同音に語りました。 

が、今更 言うまでも無く、それが一般家庭の習わしですよね。

その中で、Y さんと H さんに「ところで 先生、第一に鏡餅の お供えは新年を祝う事と解るが、 それに連なる 第二に鏡開きにも、それぞれ深い意味合いが あるんですか?」と、言葉を投げ掛けられました!

そこで 拙僧は「先祖の行者様から伝えられている範囲内で、二つの質問に お応えします」が、宜しいですか?

〔第1話、鏡餅について〕

 先ず、日本では古くから【 お鏡には 神が宿る】と考えられ、しかも[昔の鏡は丸い形]で 円満の意味をもち、丸い餅で鏡を表し『 鏡餅 』と呼ぶように成ったと、先代の行者から教わっております。

そして鏡餅は、歳神様の依り代 (シロ)であり、新年の幸福や恵をもたらす為に依りつくと、考えられているそうです。
つまり日本の正月は、歳神様を各家にお迎えし、おもてなしをして、送る為の伝統行事とのことです。

だから、お迎えした歳神様の依り代として、鏡餅をお供えする事に成ったようです。

(あまり長文になると、皆さんが飽きると思いますので、この辺で前文のみ掲載し、後半は第11談に回します!) それでは次回に、お休みなさいませ・・・合掌

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第9談 クリスマスに想う

第9談 クリスマスに想う 2020年(令和2年) 12月25日(金)

今朝9時過ぎ頃、弟子の H さんから「先生 メリークリス 云々」と、メールメッセージが入りました。 ので、早速 僕も『オハヨウー有り難う御座います、貴女方も今晩 楽しんで下さいね』と、返信しました。

が、拙僧としては、我が国の御年越やお正月が目前に迫り、色々と支度で小忙 (コゼワ)しい最中 (サナカ)で、口には出さずとも素直に喜んで上げられませんでした。

夕方になり少し落ち着いてから、いくら忙しくても  H さんの気持ちも察し、もう少し気の利いたメッセージを送れなかったかと、今更ながら反省をしておりますが「身から出た さび」で「後の祭」ですね。

ただ僕は、あまり外国のマネをしない方ですが、この日本(ヒノモト)の人々は昔より「目新しい物」は 他国の物であれ、その他の物であれ 何でも受け入れ、物真似から工夫を凝らし、それ以上の物を生み出す習性を併せ持つ、好奇心旺盛な系統ですから致し方ないでしょう。

また、そこが日本人の良いところなのかも?

ちなみに英語のスペルでは〔クリスマスを Christmas〕と書き、『キリストをChrist 』と 後に続く礼拝や祭礼の意味を表わす『 ミサを mas 』と、この【2つの単語を組み合わせた】ものですよね。

そうなると〔Christ mas=クリスマス〕は【キリストのミサ】 祭礼と言う、祝福の意味合いも含まれていると、思いませんか!

キリストの誕生日は記録に残っていないようですが、後世の者が「冬至祭」の あった「12月25日」を誕生日に充てて、お祝いをする事に成ったようです。

つまり 『12月25日のクリスマス』は【キリストの誕生日】に 充てられた、クリスチャンの祝日なんですよね。

そのように考えると拙僧等は仏教徒ですから、異教徒の「クリスチャンのクリスマス」を祝って、宜しいのですかねー?
「猿は生姜(ガ)の味を知らず」ですか!

いずれにせよ「 触らぬ神に祟りなし」と 言う事もありますから、僕は否定も肯定も しませんが中立の立場で、我ら日本人は何と大らかで 懐の広い人種なのでしょう。

このクリスチャンのクリスマスはキリストの誕生日を祝う筈なのに、今では世界中で多くの大人から子供迄もが、共にクリスマスを祝って上げているのですから、「清濁あわせ呑む」で 摩訶不思議ですね!

この事は世界的に見ても、また人類の全ての宗教家にとっても珍しく、世界平和の解決方法の一端に含まれるのかも、知れません?
諺に「宗教のない教育は ただ利口な悪魔をつくるに すぎない」と ありますが、 如何あらんや?

拙僧も、宗教戦争や利権争いの無い 「社会平和が築かれる事」を、待ち望む者でありますが「骨折り損のくたびれ儲け」ですかねー?

言葉 足らずで申し訳ありませんが、夜も更け もう24時 この辺で横になりたく、次回に・・・お逢いしましょう。では、お休みなさいませ?

第8談 生と死に想う

第8段 生と死に想う 2020年(令和2年) 7月28日(火)

今日は、月並祭の後10時45分頃から、新参拝者に次のような お話しをさせて頂きました。 先ず気を楽にして、今からお話しする事に多少の時間をお貸し下さい。と、お伝えし語り掛けました。

私達は、己の人生をどう生きたら良いのか、例え生き甲斐のある生涯を送る。
としても、いずれ無上の風に誘われて誰しもが死と言うものに必ず直面し、これを脱(マヌガ)れる術は無い。

この『生と死』を通して それぞれが、人間と言うものの生き方をどうに考え・死と言うものをも どう見詰めて行けば良いのか? を、真っ向から取り上げて来たのも、私たち仏教僧です。

つまり、人間の生き方や死に方にも、人それぞれ違いは あるでしょう。 
また、人の死後にまで葬儀や追善供養も、あるいは お盆やお彼岸の追善法要をも、残されし家族にとって重荷に なるやも知れません!

さりとて、私達は嫁を娶り子が授かり、夫婦ともに生活に追われ、特に妻は子育てをも こなしながら働きづくめで、ようやく子も成人させ社会に送り出す。
ホットする間もなく気づけば何時の間にか、老いを感じ共に白髪の人生を走り抜け、生涯を閉じてしまう!

こんな一生で良いものかと、つくづく考えさせられる事も、しばし あると思いますが、皆さまは 如何ですか?

そこで「生と死と人生のあり方」など、この世に生を受けた者の悩みは尽きないものですが、これらの事柄を人類の永遠のテーマにして来たのも、私たち修行僧なのです!

ですから、僧侶で行者でもある拙僧らの修行の場=お寺は、多くの人々の心の拠り所で、安らぎの場でも あらねば成らない。
それが、本来の寺院の あるべき姿だと、愚僧は思う次第であります。

女方参詣者 のみならず皆様の心の休み場と思い、気楽に当寺の山門をくぐり、 心を開き 御本尊様に合掌し・其々の重荷を降ろして みては、如何ですか?

当院では御仏様や行者等が、何時でも手を差し伸べております。
御拝聴 有り難う御座いました。

第7談 修験道の本寺と主神

第7談 修験道の本寺と主神 2020年(令和2年) 7月19日(日)

今日は弟子の Hさんと M さんに、山伏行者開祖様の本寺と主神様の云われを、私共に分かり易く教えて欲しいと問われ、ごく簡単にお話ししました。
以上の事を暫く休んでいましたが、急に思い立ちブログでも立ち上げる事にしました。

大峰山は、古来より修験道総本山で且つ女人禁制のお山でもあり、また古より金の御嶽と呼ばれる金の産地でもあります。
その山上ヶ岳と呼ばれる所で、開祖の役小角様は我に衆生救済の力強いご本尊を、目前に現わして下さいと祈り。

風雨の日も厭わず 一千日の命がけの願掛けをし、満願日の千日目の朝『釈迦・千手観音・弥勒(本来は地蔵でしたが、後にミロクに代わる)』この三尊様が現れました。
それでも、役の行者様は物足りなく魔王もたじろぎ恐れる位のお姿をした、御本尊をお迎えされたし。

と祈ると、たちまち空がかき曇りカミナリが響く中に、台地の岩の底から大音声と共に大きな岩石が砕け散り『我が、金剛蔵王であるぞ』と、炎に包まれ怒りの形相を現わにしたお姿で、岩中から湧出されました!

そのお姿を役行者尊は桜の木に彫り、大峯山山上の岩の上にお堂を建て、その中に金剛蔵王権現様をお祀りされました。
後に、その上に現在の大峰山寺本堂、つまり山上蔵王堂が建立されたのでありますす。

また、山下の吉野山にも同じくお堂を建て、桜の木に刻んだ金剛蔵王権現様をお祀りされ、これが現代の国宝「国軸山 蔵王堂」です。

内陣には、大きな三体のご本尊 「金剛蔵王大権現」様が居られ、その本地仏を『釈迦・観音・弥勒とし、過去・現在・未来』迄の三世にわたり、我々をお救いする。
ご本尊として、千三百数十年に亘り修験者の主尊(主神)として、崇められております!

役行者様は このように山伏修験者の主神、日本国産の『金剛蔵王権現』様を感得なされ、諸国 修験者の山岳修行の名立たる霊山をも、数多く開かれたと伝えられております。そこで、山伏修験道の開祖様として、今日に至るまで尊ばれております。

以上の云われを、簡単な説明で乗せてみましたが、お解りになると幸いですがネー?
これでも、噛み砕き短めのメッセージにしました、宜しく。

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第6談 山岳修行に想う

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山岳修行


第6談 山岳修行に想う 2020年(令和2年) 5月3日(日) 

今朝は4時に起床し 先ず心身を浄め、自坊の内仏「神棚・仏壇」及び庭園内「大日堂・護摩龍王堂・薬師 観音 地蔵 十三佛堂・釈迦 阿弥陀堂」等の諸堂諸尊に、いつも通りに 朝の御給仕をする。

取り急ぎ 正装に改め、自坊から順に各諸堂 仏神に日常の2時間よりも、早めの お勤めに切り替えて修し 終わり6時40分、時計の秒針を睨みながら 軽食を取る。
【急がば 回れ】かな?

新たに白装束(死に装束)に身を固め、7時 根本道場前にて道中安全を願い祈念する。
10分後マツダデミオに乗車し八戸市外の、標高七四〇メートルの 臥牛山へ向かう。
7時50分 登山口へ到着、山ノ神・不動明王・明神等に、ご挨拶と登頂安全を願う。

入山直後 徒歩3分、思いもよらず 狭い参道片側 右端3/1が突如、湾曲気味に谷川へ崖崩れしており驚く、こりゃー 幸先 ヤバイ かもー と?
【落つれば同じ 谷川の水】【迷わぬ者に 悟りなし】そうだよナー!

途中、所々に白樺の幹の白さと、またツツジが咲く頃には色鮮やか なりて眼を奪われますが、まだ一ヶ月早いのかなー?

特に、賽の河原の辺りから頂きまで 残雪があり「フキノトウや こごみ」などの山菜が、美味しそうに 今が旬の食べごろヨと、僕の方を 恨めしそうに見つめている。
【三里四方の野菜を食え】【山に近ければ山を食い、海に近ければ海を食う】と云う!

また「カタクリの花や、菊咲一華 (キクザキ イチゲ) の白と紫色の花びら」も、ごく自然に お山とマッチングセットされたように美しく咲き誇り、身心共に和み とても心地良く 軽やかに足も運ばれ、何時とはなく夢心地で 雲の上を浮遊しているようでした!

山頂 鳥居 奥の三尊安置の拝殿に お供物を供え「無事の登拝御礼と コロナウイルス肺炎の 感染除けと撲滅を、並びに 亡くなられた方々の 御冥福も共に 一心と祈る」、 殊に人類救済を切に願い読経する。そうして、この上の高台で小休憩する。
【病に主 (ヌシ) なし】【万物流転 】とか!

頂上 花崗岩の塔に仁王立ちし、眼下の「階上町や八戸市、また遠くは下北半島南部や、西に八甲田山系と十和田三山」等の、周囲 三六〇度の パノラマも楽しめる。
が、今日は26度と気温も高く晴天の為に、薄っすらとガスも掛かり 霞がかって、かえって幻想的に見えます。

また、やぶ蚊なのか 黒い小さな羽虫も多く飛び交い、肌に付きまとうのが多少の難点でしたが、それを補うように 去り行く山の残冬を惜しむような銀花 (残雪) と小春日和の季節の狭間に立ち、吾輩は感無量で良か気分ですたい。
【藪をつついて、蛇を出す(藪蛇)】【藪から棒かな】?

9時55分 大開き鳥居を目指し歩みを速め 厠=雪隠 (セッチン) 休憩。その後 、登山口まで速攻にて下山し10時45分前に着く。間を置かず 神仏に厚く御礼申し上げ 、愛車に乗り込み 帰寺を急ぐ。

11時25分 順調に当寺に帰山し、本堂と諸堂にて満行御礼と御供養の後、着替えのため自坊へと一歩足を踏み入れる。

ひとまず汗を拭い去り 身支度を整え、僕の隠れ家的な 昼なお人もマバラな弁慶の泣き処へ?車で移動 12時ジャスト、 昼食は ちょっと豪ジャスに「寿司と海鮮ラーメンをデザートにイチゴパフェ」を頂き、 脛巾 (ハバキ) 脱ぎをし 山岳修行を終える。

「余は満足ジャ」・・・合掌礼拝。

第5談 続➂ お釈迦さまに想う

第5談 続➂ お釈迦さまに想う 2020年(令和2年) 4月12日(日)

王子は幼少期の心の傷を残し、日夜 悩みながら成長して行きました。「 親 (母) は、 なくても 子は育つ 」と、言います。

そこで父王は、王子に様々な気配りをし 早く妻でも娶 (メト) らせれば、色々な不安な気持ちも 落ち着くだろうと思いました。
「 親の心、子知らず 」かな!

そして、王子16歳 (19才とも伝えられる) の時に、亡き母親マーヤー王妃の実家の兄デーバダハ城主スプラブッダ王の娘ヤショーダラー姫を、妃(キサキ)として妻に迎える事にし 結婚させました。

その後、太子は父の政務を助け よく働きました。
「 子を見ること、親に如 (シ) かず 」ですかね?

お妃さまは、きっと美しく優しい人柄で、常に夫に愛情をそそぐ素敵な人だったのでしょうね。〈 本当に羨ましい限りでございますネ 〉
あーッと失礼しました、どこで誰がご覧になっているかも知れませんので、一様 付け加えて おきます。

僕の連れ添いも、妃に負けず劣らず、とても素敵な人です。
「 背も高く手足も長くスタイルも良く・美しく心優しく情け深く・常に控えめで 夫をたて、働き者で一点の非の打ち所もない、全てに於いて申し分のない、素晴らしい伴侶ですヨ 」《 コレ、ほんま デッセ 》

お釈迦様の、父カピラ城主ゴータマ・シュッドーダナ王も、母マーヤー妃も同じ釈迦族の一族でコーリヤ族のデーバダハ城主の姫で、父と母も従妹(イトコ)同士での結婚でした。
やはり王子も、父母と同じく同族の従妹と、結婚する事になりました。

今の日本だと、近親相姦 結婚のため三親等以内は、遺伝子的にも先天性異常が見られる子が出生する可能性が高い為、敬遠されています。法律上も、婚姻は無理かも?

確か、兄弟姉妹の二親等と、叔父叔母や甥姪の三親等は、婚姻できないと思う?
それ以外の、傍系の血族で従う兄弟姉妹は四親等なので、結婚は可能だと思うが?

これが 嘘か誠かは、愚僧のヘットの鶴 (ツル) を想像すると、もうお分かりの筈ですね「 嘘と坊主の頭は、結 (ユ) った事が無い 」のが、実状でしょう 。如何かな!

詳しい事は、法律の専門家に、お尋ね下さいますように!
このストーリーは、まだ続きますので、今日はこ辺で・・・合掌