神法寺 風来坊和尚の独り言

南部山神法寺の行事予定、風来坊和尚の独り言を掲載しています

7月の行事予定

7日   役尊報恩会    午前10時より(書写会)

       7日   降  霊  会    午前11時より

13日    盂蘭盆会 先祖供養   午前10時より(お盆)

15日    盂蘭盆会 先祖供養   午前10時より(お盆)

19日    蔵王権現  龍神祭   午前10時より

28日    不動明王会   午前10時より(行道会)

       28日   坐 禅 会   午前11時より

 

第25談 続編➁ バレンタインデーに付いて

第25談 続編➁ バレンタインデーに付いて 2023年(令和5年) 2月14日(火)
(前編に続く) 以前の義理チョコから、今では義務チョコに変化しているようですネ!

2月14日のバレンタインデーチョコのキッカケは「お菓子会社の宣伝」だった事を、知っている人も多いとは思いますが、では具体的に「誰が・いつ・どこで・どのように」始めたのかは、どうでしょうか?・・・はてな?を、調べて見ました。

もはや日本の恒例行事として、今日では欠かせないように成って居りますが、この先どう変化して行くのかなー?

 

① 我が国、日本におけるバレンタインの発祥は関西から

バレンタインデーは、元々海外の行事です。   

日本で最初に紹介されたのは、実は約80年前の1936年であり、兵庫県神戸市のチョコレートメーカー「モロゾフ」が、外国人向けの英字新聞に載せた「愛の贈り物として、チョコレートを贈りましょう」と言う、チョコの宣伝が始まりでした。

その時代は日中戦争のまっただ中で、なかなか嗜好品(しこうひん)の商売は難しかったようで、全く定着しなかったバレンタインデー、それでも火付け役のモロゾフのオーナーは諦めなかったようです。

そこから15年後の1951年に、もう一度、真っ赤なハート型パッケージのチョコでバレンタインを宣伝した所、それに大阪の阪急百貨店が目を付け、毎年の恒例企画となって行った。この事柄により、日本のバレンタインは関西から始まったと言われている。

② 関東でバレンタインデーが始まったのは1958年から
関東での始まりは、いつ頃でどのように成りたったのだろうかなー?

関西に遅れる事7年後、1958年にメリーチョコレートカンパニーが、新宿の伊勢丹に「バレンタインセール」の看板を出したが、それで売れたのは板チョコとメッセージカードがそれぞれ5枚のみで、結果として微妙な成果のようでした。

それでも懲りずに?翌年もバレンタインデー企画を敢行(かんこう)、ハート型のチョコや「女性から男性へ」というメッセージも作られ、バレンタインデーの知名度も開始当初にはほとんどなかった。

けれども1960年から1965年にかけて新聞や雑誌に多くの広告が出されて、だんだんと一般に浸透して行き、1965年頃からは、伊勢丹でバレンタインフェアが行われるように成りました。

③ 日本ではバレンタインは定着しない?一度は諦められたバレンタインデー戦略は

これで、とんとん拍子にバレンタインデーが定着かと思いきや、売上はそこまで伸びず「女性から男性へ」のメッセージも、1960年代当時は現代のようにグイグイと前に出る活発な女性が少なかったのか? あまり功を奏(そう)しなかったようですネ。

「日本ではバレンタインデーは定着しない」! そんな判断がされかけた事も!
流れを変えたのは、子供達でした。 1970年代に、小中高生の学校で「女の子から男の子に告白できる日」として、バレンタインデーが盛り上がり始めたのです。

その過熱ぶりは、新聞記事にもなるくらいで、その時にはすでに「バレンタインデー=チョコ」の図式が出来ていて、バレンタインデーの熱は、子供達から大人達にまで伝わって行ったのです。

70年代後半には、OLたちがチョコを買うようになり、売り上げは右肩上がりに伸び、80年代には「義理チョコ」文化が誕生すると、チョコ市場は3000億円を超える規模に成ったそうです。 紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、日本文化の一つに成ったバレンタインデー(チョコ)。

④ ここ十数年で『友チョコ・ご褒美チョコ・自分チョコ・逆チョコ・義理チョコ・義務チョコ』に迄、変化を遂げた文化も生まれつつ有り、今後さらにバレンタインデーは進化して行くのでは? 将又(はたまた)、自然に廃(すた)れ消滅して行くやも知れずかな?

ちなみに僕も去年7個・今年3個と年々減り続けている甘い義理チョコですが、わざわざ手渡してくれた方々には感謝申し上げますが、本音を言えば頂くチョコよりもピリリと辛口のラーメンか冷麺の昼食にでも、誘われた方が嬉しい限りですがねぇー!

この事は、ご本人には言い難いですヨネー!
このへんでバレンタインデーに付いての思いを終わらせて頂きます。
風来坊和尚より・・・合掌再拝

 

第24談 前編➀ バレンタインに付いて

第24談 前編➀ バレンタインに付いて   2022年(令和4年) 2月12日(土)

12日(土)今朝8時ごろ、朝参りの信者さんから大き目のチョコレートを頂きました。
無論 中年過ぎの女性Tさんから、2日早いですが忘れない内に14日バレンタインのチョコですと、第一号を手渡されました。

そのチョコ事で多少思い入れ有り、関西から始まり関東に広がるチョツト前の少年十五才~三十代末青春時代迄30~50個近くも頂いた物でしたが、流石に年金暮らしのショボかぁ僕が未だに二十代の若い子~中年のオバタリアンも合わせ5~7個位いかねぇー、勿論 義理チョコですがネ!

それでも、品物を下さる彼女達の気持ち考えると、こんな呍十歳のジジイにと思いながらも有り難い事ですと、笑顔で心から合掌 感謝申し上げております。
そこで今回は明後日【 2月14日(月)バレンタインデーに付いて】語りたいと思います。

先ず、最愛の夫や好きな彼・お世話になった方や親しい友・勤務先の仲間やその他の男性群に、子供から大人に到るまで既製品や手作り品など様々、其々彼女達が思いを込めて贈る、本命チョコ・友チョコ・義理チョコなど、今では日本人女性に取って年に一度の慣習にまで拡がっている程!

僕が想うに多少金子も掛かりますが、普段活発な人やオクテの人でも、イザ想う男性に告ること自体、かなりの勇気がいる事と思われます。
が、この日に限り誰でも気軽にチョコレートを贈れるので、意中の彼にでも内心ドキドキしながらも表面上は冷静を装い、普通に手渡せるのでは?

特に、意中の男性に自身の想いを伝える日として認知度も高い「バレンタインデー」のイベントに乗じて、贈る側の彼女も・贈られる側の彼も共に満足出来る様に工夫、レベルアップせし手書きのメッセージカードなども添える方もいるようです。

また近年は真新しい方法などで思考を凝らし、手の込んだプレゼントなどの組み合わせも、様々生み出されているようです。

このように、我が国の民衆の間に溶け込んでいる「バレンタインデー」とは一体何なのか、と言う事を以前 聞いていたので お話ししましょう。

『 皆様も薄々ご存知の方もいるかも? 実は人の名でありバレンタイン (バレンティヌス?)と言う、キリスト教の聖職者の名前から来ているようです。』

今を去ること1750年前の西暦169年頃のローマ時代、兵士は「結婚する事」で戦の士気が下がる、との屁理屈で「クラウディス?」2世皇帝より禁じられていたそうです!

そこでバレンタイン司祭が、好きな彼女と結婚出来ない兵士達を憐れんで、こっそりと善意の結婚式を執り行っていたようです。
其の事がローマ皇帝の知るところとなり激怒し余の命に背いたと、「バレンタイン」司祭は重罪として『 2月14日 』に処刑されたそうです。

このような出来事から、後に毎年2月14日はキリスト教の祭日と成り、それが転じて其の日に肖(アヤカ)り、恋人達が愛を告白し、愛を誓い合う日と成ったようです。

以上の事柄は、僕が若かりし頃 札幌いた女友達から聞いたお話しです。
今日はこの辺で終了します、続きは第25談➁へ掲載。

第23談 続編➁ 年頭に当たり  

第23談 続編➁ 年頭に当たり   2022年(令和4年) 1月15日(土)

㋩ 前編に続き、毛利 元就 (モウリ モトナリ) に付いて、もう少し故父 (チチ) から聞かされていた事を述べます。

元就は、幼少期に父母を・19才で兄も失い・更に兄の子の甥までも亡くしています。僕が想うに『 甘える術も知らず・孤独な幼少期を送り、頼るは己一人のみ だったのでしょね?』そして、次男にして毛利家の家督を相続したのです。

だからこそ、権謀術に長け・希代の策略家としても名を馳せた人物に成り得たのではないしょうか!

このように、波乱に満ちた戦乱の世を生き抜いて来た、元就ならではの教えを言霊 (言葉) に拠る、生き抜く術を毛利家の家訓として残し、行く末を三人の子【 毛利 隆元(モウリ タカモト)、吉川 元春(キッカワ モトハル)、小早川 隆景(コバヤカワ タカカゲ) 】等に託したようです。

 それでは、お待ちかねの元就が書状に認 (シタタ) めた15ヶ条の教訓の中から、ここでは七選のみを取り上げて見ます。

(1) 道を歩いて躓 (ツマヅ) くのは有り勝ちな事だ、少しも気にする事はない。
(2) 我は酒が飲めぬから、斯様 (カヨウ) に長生きなのだ。
   酒を飲まなければ70、80才まで健康でいられて、目出度い事だ。
(6) この矢一本なれば、最も折りやすし。しかれども一つに束ぬれば、折難し。
   汝ら、これに鑑みて、一和 同心すべし。必ず背くなかれ。
(9) 友を得て、尚ぞ嬉しき桜花、昨日に変わる、今日の色香は。
(12) 一芸も要 (イ) らず・能も要らず・遊も要らず・履歴も要らない。
  ただ日夜 共に武略、調略の工夫をする事こそ肝要である。
(14) 一年の計は春にあり、一月の計は朔にあり、一日の計は鶏鳴にあり。
(15) 謀 (ハカリゴト) 多きは勝ち、少なきは負ける。

この中でも、先の前編➀には (14) 条に付いて既述 (キジュツ) しました。
次回の続編③は、特に(6)条の『三本の矢』の謂れですが、言わずと知れた夙 (ツト) に有名な物語として、皆様には周知の如くでしょう。

が、どうしても この当世の地球全般の社会悪や家族制度崩壊などに於いても、乱れ切った世界観を鑑みて反省し 世直しする機会にも通ずる事も多大に有るのでないかと、一人悶々と後世の子等の将来を慮 (オモンバカ) り、記載したいと思い 立ち上げました。 

 < 続きは、第24号 続編③に掲載 致します >

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毛利元就

 

第22談 前編➀ 年頭に当たり 2022年 元旦

第22談 前編➀ 年頭に当たり 2022年(令和4年) 元旦

新年、明けまして おめでとうございます。

年頭に当たり『 一年の計は 元旦にあり 』と申しますが、その「 意味と由来 」を生前に 亡父 ( ボウフ ) から何度か聞かされておりました。
 僕が七才頃からハイハイウンウンと頷きながらも、右から左に聞き流し今に到り無計画で、その年々の流れに因って方向転換を重ねて来ました。

が、この歳になり過ぎ去りし昔の事が走馬灯のように駆け巡り、今更ですが後悔の念に堪えず思い出されてなりません。この事も睦月(ムツキ) 初頭の忘れえぬ思い出の一つですので、ここに一筆啓上いたします。

㋑ 先ず、その意味合いとしては『 年頭 初めの元旦に一年の計画を立てるべきだ 』との戒めであり、物事を始めるに当たっては【 何事も 最初が肝心 】で念入りな確 ( シッカ ) りとした計画を立て、その目標に向かい達成する為の努力が必要であり大切だと云う事です。

但し、僕が想うに上手く計画通りに事が運び、喜びと成るか・糠喜びと成るかは別物で、其の年の瀬の蓋を開けて見てからの、結果次第であり何とも言い難しですかね?
迎える其の年に為すべき事を成す、そうする事で有意義な年を送れるように成るか・否 かは別としても、【 精一杯努力し 結果を出す 】こと。
これが、我が日の本の倭人 ( 和人 ) の心に響く、打って付けの言葉 なのかも?

㋺ 次に、元旦に目標を立てる風習 ( 習慣 ) の由来は、何時頃から始まったのか? 
この事柄は、日本説と中国説の二通りあるそうです。

一つ目は、日本説で毛利 元就 ( モウリ モトナリ ) 由来の言葉です。
毛利 元就とは、戦国時代の安芸国 ( アキノクニ 広島県西部 ) の国人 ( クニビト 其の地方の ) 領主から、中国地方 全域を統一した武将であり、

『 一年の計は春にあり、
    一月 ( ヒトツキ ) の計は朔 ( ツイタチ  朔日 ・一日 ) にあり、
    一日の計は鶏鳴 ( ケイメイ  一番鶏が鳴く早朝 ) にあり。』と、伝えております。

この事を分かり易く 言うと、
「 新しい年の計画は元旦の初めに ・ 月の計画は月の初めの日に ・ そして、今日の計画は早朝に、立てる 」だけでは意味が無い、其の『 立てた計画を実行 』して行きなさい、と言っているんですね。

さすがは、中国地方を一代で手中に収めし覇者の言葉ですよね! 
今日は、この辺で筆を休ませます。< 続きは、第23号 続編➁に掲載 致します >