第25談 続編➁ バレンタインデーに付いて

第25談 続編➁ バレンタインデーに付いて 2023年(令和5年) 2月14日(火)
(前編に続く) 以前の義理チョコから、今では義務チョコに変化しているようですネ!

2月14日のバレンタインデーチョコのキッカケは「お菓子会社の宣伝」だった事を、知っている人も多いとは思いますが、では具体的に「誰が・いつ・どこで・どのように」始めたのかは、どうでしょうか?・・・はてな?を、調べて見ました。

もはや日本の恒例行事として、今日では欠かせないように成って居りますが、この先どう変化して行くのかなー?

 

① 我が国、日本におけるバレンタインの発祥は関西から

バレンタインデーは、元々海外の行事です。   

日本で最初に紹介されたのは、実は約80年前の1936年であり、兵庫県神戸市のチョコレートメーカー「モロゾフ」が、外国人向けの英字新聞に載せた「愛の贈り物として、チョコレートを贈りましょう」と言う、チョコの宣伝が始まりでした。

その時代は日中戦争のまっただ中で、なかなか嗜好品(しこうひん)の商売は難しかったようで、全く定着しなかったバレンタインデー、それでも火付け役のモロゾフのオーナーは諦めなかったようです。

そこから15年後の1951年に、もう一度、真っ赤なハート型パッケージのチョコでバレンタインを宣伝した所、それに大阪の阪急百貨店が目を付け、毎年の恒例企画となって行った。この事柄により、日本のバレンタインは関西から始まったと言われている。

② 関東でバレンタインデーが始まったのは1958年から
関東での始まりは、いつ頃でどのように成りたったのだろうかなー?

関西に遅れる事7年後、1958年にメリーチョコレートカンパニーが、新宿の伊勢丹に「バレンタインセール」の看板を出したが、それで売れたのは板チョコとメッセージカードがそれぞれ5枚のみで、結果として微妙な成果のようでした。

それでも懲りずに?翌年もバレンタインデー企画を敢行(かんこう)、ハート型のチョコや「女性から男性へ」というメッセージも作られ、バレンタインデーの知名度も開始当初にはほとんどなかった。

けれども1960年から1965年にかけて新聞や雑誌に多くの広告が出されて、だんだんと一般に浸透して行き、1965年頃からは、伊勢丹でバレンタインフェアが行われるように成りました。

③ 日本ではバレンタインは定着しない?一度は諦められたバレンタインデー戦略は

これで、とんとん拍子にバレンタインデーが定着かと思いきや、売上はそこまで伸びず「女性から男性へ」のメッセージも、1960年代当時は現代のようにグイグイと前に出る活発な女性が少なかったのか? あまり功を奏(そう)しなかったようですネ。

「日本ではバレンタインデーは定着しない」! そんな判断がされかけた事も!
流れを変えたのは、子供達でした。 1970年代に、小中高生の学校で「女の子から男の子に告白できる日」として、バレンタインデーが盛り上がり始めたのです。

その過熱ぶりは、新聞記事にもなるくらいで、その時にはすでに「バレンタインデー=チョコ」の図式が出来ていて、バレンタインデーの熱は、子供達から大人達にまで伝わって行ったのです。

70年代後半には、OLたちがチョコを買うようになり、売り上げは右肩上がりに伸び、80年代には「義理チョコ」文化が誕生すると、チョコ市場は3000億円を超える規模に成ったそうです。 紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、日本文化の一つに成ったバレンタインデー(チョコ)。

④ ここ十数年で『友チョコ・ご褒美チョコ・自分チョコ・逆チョコ・義理チョコ・義務チョコ』に迄、変化を遂げた文化も生まれつつ有り、今後さらにバレンタインデーは進化して行くのでは? 将又(はたまた)、自然に廃(すた)れ消滅して行くやも知れずかな?

ちなみに僕も去年7個・今年3個と年々減り続けている甘い義理チョコですが、わざわざ手渡してくれた方々には感謝申し上げますが、本音を言えば頂くチョコよりもピリリと辛口のラーメンか冷麺の昼食にでも、誘われた方が嬉しい限りですがねぇー!

この事は、ご本人には言い難いですヨネー!
このへんでバレンタインデーに付いての思いを終わらせて頂きます。
風来坊和尚より・・・合掌再拝