第8談 生と死に想う

第8段 生と死に想う 2020年(令和2年) 7月28日(火)

今日は、月並祭の後10時45分頃から、新参拝者に次のような お話しをさせて頂きました。 先ず気を楽にして、今からお話しする事に多少の時間をお貸し下さい。と、お伝えし語り掛けました。

私達は、己の人生をどう生きたら良いのか、例え生き甲斐のある生涯を送る。
としても、いずれ無上の風に誘われて誰しもが死と言うものに必ず直面し、これを脱(マヌガ)れる術は無い。

この『生と死』を通して それぞれが、人間と言うものの生き方をどうに考え・死と言うものをも どう見詰めて行けば良いのか? を、真っ向から取り上げて来たのも、私たち仏教僧です。

つまり、人間の生き方や死に方にも、人それぞれ違いは あるでしょう。 
また、人の死後にまで葬儀や追善供養も、あるいは お盆やお彼岸の追善法要をも、残されし家族にとって重荷に なるやも知れません!

さりとて、私達は嫁を娶り子が授かり、夫婦ともに生活に追われ、特に妻は子育てをも こなしながら働きづくめで、ようやく子も成人させ社会に送り出す。
ホットする間もなく気づけば何時の間にか、老いを感じ共に白髪の人生を走り抜け、生涯を閉じてしまう!

こんな一生で良いものかと、つくづく考えさせられる事も、しばし あると思いますが、皆さまは 如何ですか?

そこで「生と死と人生のあり方」など、この世に生を受けた者の悩みは尽きないものですが、これらの事柄を人類の永遠のテーマにして来たのも、私たち修行僧なのです!

ですから、僧侶で行者でもある拙僧らの修行の場=お寺は、多くの人々の心の拠り所で、安らぎの場でも あらねば成らない。
それが、本来の寺院の あるべき姿だと、愚僧は思う次第であります。

女方参詣者 のみならず皆様の心の休み場と思い、気楽に当寺の山門をくぐり、 心を開き 御本尊様に合掌し・其々の重荷を降ろして みては、如何ですか?

当院では御仏様や行者等が、何時でも手を差し伸べております。
御拝聴 有り難う御座いました。