第17談 過去を省みて

第17談 過去を省みて 2021年(令和3年) 5月31日(月)

 令和時代から過去を振り返り、昭和50年代後半当たりでしたか、ある関東地方の20代半ば所帯持ちの国家公務員男性が、癌の病に掛かり手遅れと お医者にも手の施し様が無いと見放され、早くて一月・持って三月と余命宣告を言い渡され、奥様や家族も嘆き悲しみ路頭に迷っていました。

 ところ、彼の友人が「困った時の神頼み」と言って、その友の親御さんが「元々は奈良京都で活躍していたが、お不動様の命により陸奥国南部里の民の救済の為に神仏の威力を湧出させよとの託宣あり」て、最近 青森県八戸市に転居した方で『代々続く山伏密教僧の家系で神仏習合の腕の良い尼僧行者と息子行者僧』の信者で、危ない所を何度も助けて頂き、今でも仲良くお付き合いされているとの事でした。

 そして何よりも、その住職さん等はとても気さくで優しく面倒見も良く、生き仏さまのような方々ですから、早朝から深夜までお客様が頻繁に訪れ、多くの方々の難病や悩み事などを解決され救われていて、本当にお忙しい方ですよ。

ですから、騙されたと思って一度は顔をだしてご覧なさいと、教えて下さいました。
ので、半信半疑ながら南部山 神法寺に お詣りました所、癌病になる原因をおっしゃられ、両親や祖父母に後で訊ねたところ、祖父母が実母に聞いていた通りだど驚いていました。

 そこで夫は、お祓いや御祈願などして頂き、癌や激痛も無くなり職場にも間もなく復帰でき、それから35年位い 永らえました。

 が、これからは助けられた恩に報い、妻や両親と家庭を大切にし、また何よりもお救い下された神仏の信仰から離れずに、たまには当寺にもお顔を出すようになさると宜しいでしょうね。 と、ご住職等に諭され、私達夫婦は肝に銘じて帰宅しましたと、数日後に御礼のお手紙が届きました。

 その数年後と数十年後にニ・三度程、奥様より私達が子供に恵まれない為か、主人が以前より増して自分勝手に好き放題ばかりして、家庭を顧みず無駄遣いしてお給料も入れず、私は私の給金と両親の援助で生計を立てていますと、僕に連絡あり嘆いていました。

当時の彼は、神仏に助けられたご縁で、自ら望まれて出家したにも拘らず、第2の人生では生まれ変わり、悔いの無い信仰と生活の二道を守り、お迎えが来るまで楽しい余生を送りたい、と決意証明をした筈なのに・・・!

 妻曰く、あの人は【メドツ (人間の肝を抜くカッパ) の生まれ変わり】か、化身かも!
いや中年になり、益々「古狸に進化」したかも? と、呆れ果てていました。
元々彼は、我の強い人ですから今更 更生させる術も無し、 他人の意見も聞く様な人でも無く、ましてや自ら直す気も無い人で『屁のカッパ』でしょうね、きっと。

 そうは言っても僕も、彼の本心は半信半疑でありしも、 お医者さまにも末期癌で手の施しようも無く見捨てられ、藁にも縋る思いで来寺し、ご祈祷により御本尊さまや行者尊さま方に一命を救われ、現在に至り職場にも復帰でき、2代人として数十年も生き長らえて来ている現状だったのに・・・?

 彼は、折角この未曽有の娑婆世界で 神仏の弟子に昇格したのに、一般的な人間の欲望に駆られて魔が差すような事にならなければ良いがなぁーと、以前から師僧としては そう成らないように願っていましたがね。

 そう言う夫は「苦しい時の神頼みの時だけ一生懸命」で、神仏の偉大な守護により病魔から逃れていながら、暫くすると安堵したのか、信心を忘れたように ご自分の好きな事だけしながらも、奥方の一心の信仰と言うか内助の功により、約35年も生き永らえましたね!

 もし奥様が、もう一度 夫を助けて頂きたいと願うならば、まだ間に合うかも知れ無いので、早めに手を打って御祈願でもし神仏にお縋りして見ますかと尋ねた処、もう結構です。 仮に助けられた処で、また同じ生活の繰り返しなら、絶対に拒否致します。
との、お応えでしたので、僕も手の出しようが ありませんでした。

 が、助けられた人命なのに、今でも その事が口惜しく、悔やまれて成りませんでしたね。 それで、過去を省みて記載してみましたが、誠に苦い経験でしたネ!

 そもそも人間とは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」タイプの人が多いようですから、彼に対しても ご本人が強く口で言う程でも無いだろうと、僕は期待もしていませんでした。 

某が想うに、人間って一時の快楽に負ける事って、情けなくも有り、実に悲しい者ですね! 今日は、この辺で追憶から離れます。